和歌山以外の地域の写真をこちらにまとめます。メインブログはhttp://vonbraun.exblog.jp


by hobohitoritabi

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古都奈良の文化財11 平城宮跡・東院庭園・宇奈多理坐高御魂神社・法華寺・海龍王寺

唐招提寺から平城宮跡を通り、前日入れなかった近辺の神社仏閣をめぐります。

あっ、そうそう。
「寺社仏閣」という訳のわからん言葉を使っているブログをよく見かけますが、
寺社=寺+神社
仏閣=寺
なので、寺社仏閣=寺+神社+寺で、寺が2回出てますよ。
PIXTAのタグでけっこう多いですね。

神社と寺を言いたいのなら、「寺社」か、「神社仏閣」です。


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朱雀門
門ではなく区域が特別史跡で世界遺産。
10:08

金閣寺(鹿苑寺)や天龍寺は世界遺産ですが、建物は世界遺産ではなく、庭園が特別名勝で、世界遺産。
金閣寺の金ピカの建物(舎利殿)は昭和25年に放火で焼失、30年に再建されたもので、現在のところ文化的価値はありまえん。お間違いなく。

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朱雀門から大極殿
10:10
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東院庭園
10:19
無料なので、入ってみました。こういう庭もいいかも。

 平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
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宇奈多理坐高御魂神社
東院庭園のすぐ近く。
10:25
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宇奈多理坐高御魂神社10:26
本殿(重要文化財)

由緒
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では宇奈足とも菟足とも書いている。武内宿禰の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇 六年(692)二月には新羅の調を伊勢住吉紀伊大倭菟名足の五社に奉るとある。その一社でこの神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730)大振る税帳新抄 格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言ってい るのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社流造檜皮葺で国指定の重要文化財である。境内一帯は平城天皇の楊梅宮址 とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

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法華寺
10:31
 光明皇后ゆかりの門跡尼寺。東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、詳しくは法華滅罪之寺といった。法華寺の地にはもと藤原不比等の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮とした。天平17年(745年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである(『続日本紀』)。この宮寺を「法華寺」と称したことが文書で確認できるのは、2年後の天平19年(747年)からである。

重要文化財
本堂
鐘楼
南門

史跡
法華寺旧境内

名勝
法華寺庭園

重要有形民俗文化財
浴室(からふろ)

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鐘楼(重文)
10:33
 鬼瓦に慶長7(1602)年の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。二層建てで、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式。

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横笛堂
10:34
 かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、東門の東側に移築されている。

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薬師堂
10:34
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稲荷神社
10:35
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本堂(重要文化財)
10:37
 本堂は慶長6(1601)年豊臣秀頼が淀君とともに片桐且元を奉行として再建。

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からふろ(重要有形民俗文化財)
10:43

 この浴室は古くから「からふろ」と呼ばれ法華寺本願光明皇后が難病者たちに入浴の恵みをたれ給うたところであります。
 傍らの井戸は常に清らかな水をたたえ、この浴室の伝統は井戸と共に古い由緒を伝えています。
 浴室の内部は二部屋になっていて両方共にむし風呂になっています。
 近年迄、実際に利用されていました。
 唐破風をつけた内部の古い様式や敷瓦の遺構には、昔の面影が偲ばれます。
 平成15年7月に半解体修理が完成いたしました。

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光月亭
10:43
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10:47
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10:51
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南門(重要文化財)
10:53
切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。

名勝の庭園は非公開時期なので入れませんでした。


海龍王寺
 飛鳥時代に毘沙門天を本尊として建てられた寺院を、天平3(731)年に光明皇后により海龍王寺としてあらためて創建されました。嵐の中唐より無事に帰国を果たした玄昉が初代住持となったことから遣唐使の航海安全祈願を営むと同時に平城京内道場の役割を果たすことにもなり、玄昉が唐より持ち帰った経典の書写(写経)も盛んに行われました。

国宝
五重小塔 - 解説は前出

重要文化財
西金堂
経蔵

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山門
10:59
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11:01
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本堂
11:01
 本堂は奈良時代に建っていた中金堂の位置を踏襲しており、深い軒の出と勾配の緩い屋根、それに堂内の柱配置が整然としていることなど、奈良時代の仏堂の様式と似ている点が多く見られます。建立年代は寛文年間(1665年頃)とも伝えられ、江戸時代の建物でありながら古風な造りで、古い伝統建築の様式が好まれた奈良の地域性を見ることができて貴重です。

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西金堂(重要文化財)
11:02
 創建当時からの建物。鎌倉時代と昭和40年~41年にかけて大きな修理を受けてはいるものの、一部に奈良時代の木材を残しています。規模や形式には大きな変更がなく、奈良時代に造られた小規模の堂はこの西金堂以外に現存していないことから非常に価値の高いものと評価されています。

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五重小塔(国宝)
11:03
 創建当時から西金堂内に安置されており、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られていることから、天平時代の建築技法を現在に伝え、塔の建築様式の発展をたどる上にも重要であることと、建造物としての五重塔はこれ一基しか存在していないので、これらの点からこの小塔の価値が高く国宝に指定を受けています。小塔は屋内で安置することを目的とした為、近くから見たり拝んだりするであろうことから近くから見た時の工芸的な性格を非常に重視しており、小塔の外部は組物などの細部にいたるまで忠実に作られています。またこのことは寸法取りにも表れており、上層部にいくにしたがって塔身が細く作られていることから上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行っていることがうかがい知れます。 - 小塔を造立した理由 通常、寺院には高さが数十メートルの大きな五重塔があるのが一般的ですが、海龍王寺は飛鳥時代から建っていた寺院をもとに創建されたので、限られた敷地の中に大寺院の伽藍の形式を持ち込まなければならないという困難な状況にありました。この事情の中で「東西両塔」を備えた伽藍の形式を持ち込むべく五重小塔を造立し、東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中にそれぞれ納めたのではないかと考えられています。

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経堂(重要文化史)
11:06
 叡尊により当時が中興された際の正応元年(1288年)に建立され、昭和40年~42年にかけて解体修理を受けました。高床式であるとともに、この時期の建物の特徴である大仏様の影響を大きく受けていながらも一部には禅宗様が取り入れられており、寄棟造のおだやかな姿が古代の蔵の面影が最もよく残されています。

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11:13




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by hobohitoritabi | 2012-12-17 10:35 | 近畿