和歌山以外の地域の写真をこちらにまとめます。メインブログはhttp://vonbraun.exblog.jp


by hobohitoritabi

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古都奈良の文化財12 不退寺・興福院・般若寺・春日大社摂社若宮神社・蓮長寺

海龍王寺から不退寺、興福院を周って、前日に行き忘れた春日大社摂社若宮神社に行きます。

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宇和奈邊古墳
11:18


不退寺

 大同4(809)年、平城天皇は譲位の後、平城京の北東の地に茅葺の御殿を造営、入御し「萱の御所」と呼ばれた。その後皇子阿保親王及びその第五子在原業平が相承してここに住んだ。
 業平朝臣は承和12(845)年仁明天皇の詔を奉り、承和14(847)年、平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を刻み、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺、業平寺とも呼ばれる。

重要文化財
南門
本堂
多宝塔

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南門(重要文化財)
11:22

本瓦葺切妻造四脚門 鎌倉時代

 南都十五大寺の一つとして法灯盛んであったことを感じさせる壮大な門で、左右に御所塀が付いている。身柱の上に豪壮な板蟇股を載せ、中央冠木の上に束を中心にして笈形風にいろいろと装飾しているのが特徴である。昭和9年の解体修理時に棟札が発見され、正和六年(1317)鎌倉時代末期の建築であると確認された。

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石棺
11:24

古墳時代 砂岩製 刳抜式割竹形 

 境内中庭に五世紀の石棺が置かれている。当寺西方に築造された平塚古墳から幕末に出土したもので、発見当初は蓋(亀の甲羅形)や副葬品があったらしい。一時、付近の薮の傍ら(本堂の後)に移す。近隣の農民が石棺を砥石の代わりにして鎌を研いだために、表面が窪んでいる。
 蓋は割って各自持ち帰ったという。(刀鍛冶が刀を研いだのではないかとも言われている)その後、不退寺の境内へ石棺を移転したという。
 昭和43年国道24号線バイパス工事事前発掘調査により、奈良時代の遺構の下から古墳を検出する。小字名をとって平塚古墳と名付けられた。
 当古墳はJR関西線と国道24号線になり跡形もない。

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多宝塔
11:25

単層本瓦葺寄棟造 桁行5間 梁間4間 鎌倉時代後期 

 内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れている。須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を安置している。須弥壇の左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮を奉安し、西小部屋に阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られている。昭和5年の解体修理の際に天井裏などからこけら経が発見された。

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石棺
11:26

桟瓦葺宝形造 鎌倉時代中期 重要文化財

初層のみで上層と相輪を欠いている。建立当初檜皮葺の二層構造であったことは『不退寺伽藍図』や『大和名所図会』からわかる。内部の壁板には
真言八祖が彩色されているが、剥落が激しい。昭和九年の解体修理時に発見された飛檐垂木墨書によると、多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が
安置されていたらしい。当寺最古の建造物で、5月28日の業平忌のみ開扉している

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11:33
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11:34




興福院(こんぶいん)
 創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。
 『七大寺日記』(嘉承元年・1106年)には藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。
 また、護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建されたとある。

 興福院は後から知ったが、予約が必要らしい。
 前日は閉まっていたが、今日は前にタクシーが停まっており、運ちゃんが中から出てきた。「入れるんですか」と訪ねると、「お客さんが入っていった」とのこと。
 入ってみる。しばらく見ていると尼さんが出てきたので、尋ねると、「入れない」と言われました。
 重文の客殿だけはしっかり撮影してきました。 

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本堂
11:48
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客殿(重要文化財)
11:48
 江戸時代、寛永年間頃に建てられた、入母屋造り桟瓦葺の建物。檜皮葺きの玄関が付属する。左右3室を前後2列に配し、計6室とする禅宗方丈系の平面になる。




般若寺

国宝
楼門

重要文化財
十三重石塔
経蔵
笠塔婆 2基

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楼門(国宝)
12:05
 入母屋造・本瓦葺きの楼門(2階建て門)。民家の建ち並ぶ京街道に面し、西を正面として建つ。鎌倉時代(13世紀後半)建立。下層は1間、上層は3間とする。長押を多用し、和様を基調としつつ、上層の組物など細部には大仏様(よう)の意匠を多用する。上層の出組の組物は、外部から見ると複雑な構造に見えるが、建物内部では柱が直接桁(屋根の垂木を支える水平材)に達する単純な構造で、組物は使われていない。

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まかばら石
12:10
光明真言(不空大灌頂光真言)「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラマニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」に由来する石銘です。いつの頃からかは判りませんが般若寺境内のこの場所に在り霊石として大切にされてきました。石をなでて拝めば「運気上昇」の霊験があります。合唱。

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経蔵(重要文化財)
12:11
 様式上、鎌倉再興期の建立とみられる、切妻造の小規模な建物。解体修理の結果、建立当初は経蔵ではなく、土間床の建物であったことが判明している。建物の本来の用途は未詳。
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笠塔婆
12:12
 十三重石塔を建てた伊行末の息子・伊行吉によって建立された石塔婆。現在、本堂手前右側にあるが、当初は寺外の墓地の入口にあった。「考古資料」として重要文化財に指定されている。 

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本堂
12:13
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12:13
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十三重石塔(重要文化財)
12:13
 建長5年(1253年)頃に南宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ)により建立された、日本の代表的な石塔の一つ。高さ12.6メートル。

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12:13
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相輪
12:13

 十三重石塔の最上部に置かれる部分。昭和初期に工事中地中より発見された。鎌倉時代の創建当初のもので三つに折れているが、完全な姿を残している。
現在のものは四代目で昭和の大修理の際に初代を模して作成された。二代目は石造で本山西大寺の本坊前庭に現存。三代目は青銅製で元禄より昭和まで設置されていたが、今は当寺宝蔵堂に収められている。

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観音石仏
12:21



再び春日大社に戻ります。
前日忘れた春日大社の若宮神社に参詣。

若宮神社

重要文化財
本殿
拝舎
細殿及び神楽殿
手水屋
すべて世界遺産です。

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春日大社南門(重文・世界遺産)
12:40

 南門を出て灯籠の間を左側に進むと、「御間道」と呼ばれる御本社と若宮との間にある道にでます。この「御間道」からその最奥に鎮座する紀伊神社まで通じる「奥の院道」沿いには「福の神15社巡り」という絶大なる福徳を授かることが出来るという境内社が祀られています。

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本殿(重文・世界遺産)
12:42
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拝舎と本殿(重文・世界遺産)

 若宮の御祭神は長保5(1003)年、現在の地に祀られる。国指定重要無形民俗文化財である「春日若宮おん祭」(12月17日)に際して、その一日のみ御旅所にお渡りになる。
 鎌倉時代後期に描かれた絵巻物「春日権現験記」(1309年)にも現状と同種の建築物が描かれている。拝舎の屋根の後端は神楽殿と一体になっている。

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細殿及び神楽殿(重文・世界遺産)
12:43

 北より三間を細殿、一間を御廊、六間を神楽殿といい、3つの建物が一棟に合わさった建物であり、平安末期の寝殿造の遺風を伝えている。諸祭典に社伝神楽がここで奏せられる。

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手水屋(重文・世界遺産)
12:46

 若宮の神饌調理所に当たる建物で、土間の部分に竈、流し台、屋根には櫓煙出しを設け、一角に日本で唯一の夫婦大黒様をお祀りしている。総体に簡素で平安末期の古様を伝え、寝殿造の面影を残している。

 細殿及び神楽殿の隣に通常の手水舎(参拝者が身を浄めるために手水を使う施設)もあるので、そちらと間違わないように。

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春日神社境内ナギ樹林(天然記念物)
12:47

 境内のナギ(マキ科の針葉樹)の純林から成り、極めて稀であることから、大正12(1923)年天然記念物に指定された。境内のナギは、春日大社の創祀された8世紀頃に献木されたものがひろがったとされ、植栽年代は奈良朝にさかのぼるとされている。

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紀伊神社
12:50

第11番納札社
御祭神:五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、御例祭:9月15日
近世「奥の院」と称されていたこの社の主祭神:五十猛命は素盞鳴命の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。

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細殿及び神楽殿
12:56

ここからチェックアウトをし、車に乗り換えるためホテルに帰ります。

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旧帝国奈良博物館本館(重文)
13:09

午後からは陽がさして前日午前中よりきれいな写真が撮れた。

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蓮長寺
13:18

 当山は、もと三論宗に属し、東大寺別当勤操(空海の南都の師) が千ケ寺建立の際の一寺と思われ、喜見城院と言った。開創年代は不明であるが、奈良朝末期、恐らく750年に近い年代の頃と考えられる。
 日蓮聖人は寛元4(1246)年から宝治元(1247)年にかけて南都六宗研鑽のため、奈良にご遊学あそばされた。
 まず元輿寺に入って倶舎宗を、次いで東大寺で華厳宗、興福寺で法相宗、法隆寺で三論宗、唐招提寺・西大寺で律宗を研究され、さらに薬師寺の経蔵に入って一切経を閲読された。この間、喜見城院を拠点とされ、一番長く滞在されたと伝えられている。
 応仁2(1468)年、時の住持即俊が、宗祖の霊夢を見て日蓮宗に改宗、寺号を喜見院と改め、京都大本山本国寺第11世大聖院日尭を開山に迎え、自らは第2世に就いた。翌文明元年、本堂・番神堂を建築して寺観を一新、教勢また大いに振ったが、後年(元亀・天正の頃)火災に遭い、堂字悉く焼失して廃虚となった。
 江戸期に入り寛永の頃、京都本国寺執事の喜見院日便来たって復興に挺身、篤信の浄信院日英尼ら多数宗徒の外護協力を得て、承応2(1653)年、本堂・庫裡・山門等を再建、寺域を整備して復興を果たし、寺号も日蓮聖人ご出家の時の御名「蓮長」を冠して光映山蓮長寺と改め、大本山本国寺末頭となり、今日の基礎を成し逐げた。
 本堂は大和郡山城主豊臣秀長公建立の寺「西岸寺」本堂を移築したと伝えられ、昭和62年、国の重要文化財に指定されている。また、平成元年、妙見堂を再建、番神堂を復元し、平成2年には、中興開山書見院日便建立の書院「要法庵」が再興された。平成10年には、立教開宗750年を記念して、鐘楼を再建した。

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本堂(重要文化財)
13:19

 建立は承応2(1653)年。入母屋造り、本瓦ぶきの 大規模な堂で、周囲の落縁は側柱筋に合わして縁柱を立て庇桁を廻して軒を支えている。
 内部の柱、貫などは極彩色の文様が施され、広縁や内 陣、脇陣の各天井は鏡天井で、それぞれに迦陵頻伽・竜・鳳風の彩色画が描かれている。全体に平面は密教寺院風。 脇陣を広くとり脇陣境を仕切るなど日蓮宗本堂の特徴 をよく表した建物で、県下でも特筆に値する建造物で ある。

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by hobohitoritabi | 2012-12-17 22:08 | 近畿