和歌山以外の地域の写真をこちらにまとめます。メインブログはhttp://vonbraun.exblog.jp


by hobohitoritabi

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古都奈良の文化財13 東大寺五輪塔・圓成寺

13:37
自転車から車に乗り換え、奈良ロイヤルホテル発

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三笠霊苑
13:52
ここに何をしに来たかというと、ここにもあるんですよね世界遺産。

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東大寺五輪塔(重文・世界遺産)
14:00
奈良市川上町の三笠霊苑にある東大寺伴墓三角五輪塔のこと。
霊苑上部の12街区、13街区の向かい側にあります。

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奈良の街並み
14:04
結構、上の方にあることがわかると思います。
歩いて登りましたが、車でもOKのようです。
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興福寺の五重塔(国宝・世界遺産)
14:06

14:14三笠霊苑発
15:20圓成寺着


圓成寺
 天平勝宝8(756)年、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真和上の弟子、唐僧虚瀧和尚の開創と円成寺縁起に書かれている。しかし、史実的には平安中期の万寿3(1026)年、命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まりである。天永3(1112)年、迎接上人が阿弥陀堂を建て阿弥陀如来を安置。ついで仁平3(1153)年、仁和寺の寛遍僧正が東密(真言密教)の一派忍辱山流を始められた。文正元(1466)年、応仁の兵乱にかかり、建物の大半を失ったが、栄弘阿闍梨は伽藍の復興に努め、さらに文明13(1481)年、弟子連舜らと朝鮮に使して高麗版大蔵経を請来した。慶長14(1609)年、家康公の所望によりその大蔵経を献上したところ、江戸時代は将軍の殊遇を得て、寺領235石となり、寺中23寺を有する寺院であった。明治維新後、寺領を失い、今の境内と建物のみを残した。近年、本堂の解体修理と仏像の補修、庭園の整備を終え、多宝塔を再建して寺観を整えた。

国宝
春日堂・白山堂

重要文化財
本堂
楼門
宇賀神本殿
石造五輪塔
木造阿弥陀如来坐像
木造四天王立像

名勝
円成寺庭園 - 平安時代後期の作庭


伽藍
 本尊阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂(本堂)が南面して建ち、その前に 楼門、一段下がって 阿弥陀信仰を象徴する 苑池、浄土庭園が広がっている。その線を軸として西側に東面して、大日如来を祀る多宝塔が建ち、東側に寺院の鎮守である春日堂・白山堂、宇賀神堂、それを拝む拝殿、そのそばに鐘楼が建っている。本堂西側には護摩堂、明治以降 元の観音堂跡に庫裡が建てられた。

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本堂(重要文化財)
14:32
 文正元年(1466)栄弘(えいこう)阿闍梨が旧本堂と同じ規模と様式で再建された。春日造社殿に両廂(ひさし)付で、局・宝蔵・経蔵・篭(こもり)堂・御堂を設け、向拝に舞台を付けた寝殿造で、内陣中央、方形に配した四本柱には、聖衆来迎(しょうじゅらいごう)二十五菩薩が描かれている。須弥壇の上は 折上格天井(おりあげごうてんじょう)、大檀の上は 小組格天井、そのまわりに 四方流化粧天井(しほうながれけしょうてんじょう)を張りめぐらして、藤原時代の阿弥陀堂を現している。供物棚の格狭間(こうざま)や柱根の反華座は創建時の逸品である。昭和36年 解体修理を完了した。
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楼門(重要文化財)
14:32
 文正元年(1466)応仁の兵火にかかって焼失し、応仁2年(1468)栄弘阿闍梨が再建したもの。三間一戸入母屋(いりもや)桧皮葺(ひわだぶき)で、上下層とも和様三手先を使っている。下層出入口の上に正・背面とも花肘木(はなひじき)を入れ、正面は蓮唐草浮彫(はすからくさうきぼり)の中央 蓮華上の月輪にキリク(梵字、阿弥陀如来を表す)を刻み、背面は牡丹唐草浮彫の中央 牡丹花上に宝珠を刻み、いずれも天竺式斗にのっている。明治39年(1906)特別建造物に指定され、大正4年(1915)天沼俊一博士の指導のもと、解体修理が行われた。
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多宝塔
 縁起に、後白河法皇の寄進で、本尊大日如来を運慶に仰せ付けたと記している。元多宝塔は応仁の兵火で焼かれ、二代目の塔は大正9年鎌倉に移譲し、三代目の塔は昭和61年から平成2年に亘って再建した。全国の篤志家のご寄進と檀信徒の写経、用材勧進の浄財を投じて建立し、運慶真作の大日如来像を安置している。
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春日堂・白山堂 (国宝)
 安貞2年(1228)奈良春日大社御造営のさい、当時の大社神主藤原時定卿が旧社殿を寄進した、全国で最も古い春日造社殿。表は入母屋、裏は切妻、桧皮葺で、棟木、千木、勝尾木をのせ、蟇股・懸魚(げぎょ)・勾欄(こうらん)・斗(ときょう)などは、鎌倉初期社殿の特色を現している。大正5年の解体修理のおりに堂内から発見された棟札(むなふだ)6枚(表裏合わせて8枚)は、鎮守社の沿革と円成寺の歴史を知る貴重な文献で、社殿とともに国宝に指定されている。

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鐘楼
 桁行梁行とも九尺、入母屋瓦葺で上半四方に連子窓をはめ、下半に袴垂を張ってある。寛文7年(1667)の再建で、昭和36年解体修理を施した。梵鐘は、昭和45年に寄進されたもの。
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鎮守拝殿 (市指定文化財)
 桁行三間半、梁行二間、入母屋柿(こけら)葺で延宝3年(1675)建立。平成7年解体修理を完了した。
北側には半蔀(しとみ)戸と舞良(まいら)戸、西側には諸折両開(もろおれりょうびらき)戸を設け、南側には窓を開く。西と北側に縁を廻している。
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鎮守社 宇賀神本殿 (重要文化財)


 宇賀神をまつる鎮守社。筆(書道)の神として信仰されている。鎌倉時代に建てられた春日造社殿の向拝を唐破風にした県内最古の社で、昭和25年解体修理を完了し面目を一新した。

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護摩堂


 享保年間に再建された護摩堂が老朽化したため 取り畳み、その跡に 平成6年、不動明王、弘法大師、文  殊菩薩を祀るお堂として建立した。毎月28日には、不動尊護摩供養がおこなわれている。

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圓成寺庭園 (名勝)
 楼門前にひろがる苑池を主とした庭園は、平安末期に寛遍僧正が、真言密教の教義であるバン字を基調として築造したと伝えられる。また藤原時代 阿弥陀堂の前につくられる浄土式庭園を基盤としたものであり、寝殿造系庭園の配置を備えた舟遊式庭園として、名勝に指定されている。昭和50、51年発掘調査、環境整備を完了した。
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柳生街道
15:11
 圓成寺から柳生街道を奈良市内に向かって5分弱歩きます。
 すると六地蔵が見えてきます。
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六地蔵
15:11
 そこを左折すると最終目的地。圓成寺五輪塔があります。
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圓成寺五輪塔(重要文化財)
15:13
 石造五重塔 元亨元年辛酉六月日の刻銘がある
 鎌倉時代末期元享元年の建立、奈良県下の五輪塔では最古の銘を有する。

15:20圓成寺発
17:39自宅着


行く予定だった、
喜光寺
西大寺
八幡神社
秋篠寺
霊山寺
は時間がなく、行けなかった。





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by hobohitoritabi | 2012-12-18 21:03 | 近畿