和歌山以外の地域の写真をこちらにまとめます。メインブログはhttp://vonbraun.exblog.jp


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<   2012年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

談山神社 2012.11.19

2012.11.19
前週に引き続き、またまた行ってきました談山神社。
前週は、よんどころない事情でほぼとんぼ返り。
今回は明日香村も周ります。
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明日香村
8:08
霜が日光にあたり溶けはじめていた。
ここで、レンズを替えたのだが、そのまま置き忘れてしまった。
談山神社へ行き、2時間後に気づき戻った時にはもうなかった。
橿原警察に電話で届を出していたら3,4日後に連絡があり、無事戻ってきた。
紛失したのはCANON EF70-200mm F4L IS USM。
今でも10万超えるレンズだったので、戻ってきて一安心。
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鳥居
8:24
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十三重塔
今日は青空に映えてビューティフォー
8:26
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後ろの銀杏も実は散り始めなんやけど、この頃が十三重塔を撮るのがBESTかも。
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楼門
8:33
境内の紅葉はまだ緑が勝っている。
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8:34
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拝殿と紅葉
8:34
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8:35
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総社拝殿
8:37
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けまりの庭から神廟拝所十三重塔
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権殿
8:38
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銀杏
8:39
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8:41
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権殿
8:44
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十三重塔
8:44
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8:47
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8:49
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8:50
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8:51
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釣り燈籠と紅葉
8:57
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本殿・東透廊
9:02
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本殿・楼門・西透廊
9:02
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9:03
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9:05
何度も同じ場所の写真がありますが、くるくる回っているからです。
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9:08
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総社本殿
9:09
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祓戸社
9:10
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9:19
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9:20
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9:21
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2012.11.12
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2010.11.29


くもりと晴れの違いがありますが、十三重塔越しに紅葉を撮るなら11月20日前後が一番良いかもしれません。
2010.11.29はこちら
2012.11.12はこちら
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9:53
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9:54
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9:55


次は明日香村

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by hobohitoritabi | 2012-12-30 16:01 | 近畿

談山神社 2012.11.12

11月12日
談山神社へ行ってきました。
2010年11月29日に初めて行ったんやけど、十三重の塔のまわりの紅葉が終わっていて、今年は早めに来ました。2010年のときはこちら

権殿と本殿は工事中だったし、摩尼輪塔撮り忘れたっていうのもあるんやけど。

★おさらい
談山神社の重要文化財(建造物)は、
十三重塔
権殿
本殿
拝殿
東透廊
西透廊
楼門
東宝庫
西宝庫
摂社東殿
神廟拝所
閼伽井屋
末社惣杜本殿
末社惣社拝殿
末社比叡神社本殿
摩尼輪塔

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前回撮り忘れた摩尼輪塔
7:22
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十三重塔
8:25
本日天気予報は晴れだが、結構分厚い雲が。。。。。
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拝殿前の紅葉
8:29
まだまだ、緑色
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十三重塔
8:30
青空ならよかったのに。
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一週間後ぐらいがBESTか?
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西宝庫と楼門
8:31
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権殿
8:33
前回工事中。
970年建立、現在のものは室町時代(永年)の再建。
平成23年5月に改修工事が終了。
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8:34
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けまりの庭から神廟拝所と十三重塔
8:34
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本殿、西透廊、東透廊
8:38
こちらも前回工事中
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拝殿から本殿
8:39
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8:41
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神廟拝所内部
8:48
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神社前
8:55
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十三重塔
9:06
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拝殿、楼門
9:06


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by hobohitoritabi | 2012-12-30 14:17 | 近畿

古都奈良の文化財13 東大寺五輪塔・圓成寺

13:37
自転車から車に乗り換え、奈良ロイヤルホテル発

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三笠霊苑
13:52
ここに何をしに来たかというと、ここにもあるんですよね世界遺産。

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東大寺五輪塔(重文・世界遺産)
14:00
奈良市川上町の三笠霊苑にある東大寺伴墓三角五輪塔のこと。
霊苑上部の12街区、13街区の向かい側にあります。

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奈良の街並み
14:04
結構、上の方にあることがわかると思います。
歩いて登りましたが、車でもOKのようです。
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興福寺の五重塔(国宝・世界遺産)
14:06

14:14三笠霊苑発
15:20圓成寺着


圓成寺
 天平勝宝8(756)年、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真和上の弟子、唐僧虚瀧和尚の開創と円成寺縁起に書かれている。しかし、史実的には平安中期の万寿3(1026)年、命禅上人が十一面観音を祀られたのが始まりである。天永3(1112)年、迎接上人が阿弥陀堂を建て阿弥陀如来を安置。ついで仁平3(1153)年、仁和寺の寛遍僧正が東密(真言密教)の一派忍辱山流を始められた。文正元(1466)年、応仁の兵乱にかかり、建物の大半を失ったが、栄弘阿闍梨は伽藍の復興に努め、さらに文明13(1481)年、弟子連舜らと朝鮮に使して高麗版大蔵経を請来した。慶長14(1609)年、家康公の所望によりその大蔵経を献上したところ、江戸時代は将軍の殊遇を得て、寺領235石となり、寺中23寺を有する寺院であった。明治維新後、寺領を失い、今の境内と建物のみを残した。近年、本堂の解体修理と仏像の補修、庭園の整備を終え、多宝塔を再建して寺観を整えた。

国宝
春日堂・白山堂

重要文化財
本堂
楼門
宇賀神本殿
石造五輪塔
木造阿弥陀如来坐像
木造四天王立像

名勝
円成寺庭園 - 平安時代後期の作庭


伽藍
 本尊阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂(本堂)が南面して建ち、その前に 楼門、一段下がって 阿弥陀信仰を象徴する 苑池、浄土庭園が広がっている。その線を軸として西側に東面して、大日如来を祀る多宝塔が建ち、東側に寺院の鎮守である春日堂・白山堂、宇賀神堂、それを拝む拝殿、そのそばに鐘楼が建っている。本堂西側には護摩堂、明治以降 元の観音堂跡に庫裡が建てられた。

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本堂(重要文化財)
14:32
 文正元年(1466)栄弘(えいこう)阿闍梨が旧本堂と同じ規模と様式で再建された。春日造社殿に両廂(ひさし)付で、局・宝蔵・経蔵・篭(こもり)堂・御堂を設け、向拝に舞台を付けた寝殿造で、内陣中央、方形に配した四本柱には、聖衆来迎(しょうじゅらいごう)二十五菩薩が描かれている。須弥壇の上は 折上格天井(おりあげごうてんじょう)、大檀の上は 小組格天井、そのまわりに 四方流化粧天井(しほうながれけしょうてんじょう)を張りめぐらして、藤原時代の阿弥陀堂を現している。供物棚の格狭間(こうざま)や柱根の反華座は創建時の逸品である。昭和36年 解体修理を完了した。
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楼門(重要文化財)
14:32
 文正元年(1466)応仁の兵火にかかって焼失し、応仁2年(1468)栄弘阿闍梨が再建したもの。三間一戸入母屋(いりもや)桧皮葺(ひわだぶき)で、上下層とも和様三手先を使っている。下層出入口の上に正・背面とも花肘木(はなひじき)を入れ、正面は蓮唐草浮彫(はすからくさうきぼり)の中央 蓮華上の月輪にキリク(梵字、阿弥陀如来を表す)を刻み、背面は牡丹唐草浮彫の中央 牡丹花上に宝珠を刻み、いずれも天竺式斗にのっている。明治39年(1906)特別建造物に指定され、大正4年(1915)天沼俊一博士の指導のもと、解体修理が行われた。
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多宝塔
 縁起に、後白河法皇の寄進で、本尊大日如来を運慶に仰せ付けたと記している。元多宝塔は応仁の兵火で焼かれ、二代目の塔は大正9年鎌倉に移譲し、三代目の塔は昭和61年から平成2年に亘って再建した。全国の篤志家のご寄進と檀信徒の写経、用材勧進の浄財を投じて建立し、運慶真作の大日如来像を安置している。
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春日堂・白山堂 (国宝)
 安貞2年(1228)奈良春日大社御造営のさい、当時の大社神主藤原時定卿が旧社殿を寄進した、全国で最も古い春日造社殿。表は入母屋、裏は切妻、桧皮葺で、棟木、千木、勝尾木をのせ、蟇股・懸魚(げぎょ)・勾欄(こうらん)・斗(ときょう)などは、鎌倉初期社殿の特色を現している。大正5年の解体修理のおりに堂内から発見された棟札(むなふだ)6枚(表裏合わせて8枚)は、鎮守社の沿革と円成寺の歴史を知る貴重な文献で、社殿とともに国宝に指定されている。

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鐘楼
 桁行梁行とも九尺、入母屋瓦葺で上半四方に連子窓をはめ、下半に袴垂を張ってある。寛文7年(1667)の再建で、昭和36年解体修理を施した。梵鐘は、昭和45年に寄進されたもの。
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鎮守拝殿 (市指定文化財)
 桁行三間半、梁行二間、入母屋柿(こけら)葺で延宝3年(1675)建立。平成7年解体修理を完了した。
北側には半蔀(しとみ)戸と舞良(まいら)戸、西側には諸折両開(もろおれりょうびらき)戸を設け、南側には窓を開く。西と北側に縁を廻している。
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鎮守社 宇賀神本殿 (重要文化財)


 宇賀神をまつる鎮守社。筆(書道)の神として信仰されている。鎌倉時代に建てられた春日造社殿の向拝を唐破風にした県内最古の社で、昭和25年解体修理を完了し面目を一新した。

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護摩堂


 享保年間に再建された護摩堂が老朽化したため 取り畳み、その跡に 平成6年、不動明王、弘法大師、文  殊菩薩を祀るお堂として建立した。毎月28日には、不動尊護摩供養がおこなわれている。

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圓成寺庭園 (名勝)
 楼門前にひろがる苑池を主とした庭園は、平安末期に寛遍僧正が、真言密教の教義であるバン字を基調として築造したと伝えられる。また藤原時代 阿弥陀堂の前につくられる浄土式庭園を基盤としたものであり、寝殿造系庭園の配置を備えた舟遊式庭園として、名勝に指定されている。昭和50、51年発掘調査、環境整備を完了した。
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柳生街道
15:11
 圓成寺から柳生街道を奈良市内に向かって5分弱歩きます。
 すると六地蔵が見えてきます。
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六地蔵
15:11
 そこを左折すると最終目的地。圓成寺五輪塔があります。
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圓成寺五輪塔(重要文化財)
15:13
 石造五重塔 元亨元年辛酉六月日の刻銘がある
 鎌倉時代末期元享元年の建立、奈良県下の五輪塔では最古の銘を有する。

15:20圓成寺発
17:39自宅着


行く予定だった、
喜光寺
西大寺
八幡神社
秋篠寺
霊山寺
は時間がなく、行けなかった。





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by hobohitoritabi | 2012-12-18 21:03 | 近畿

古都奈良の文化財12 不退寺・興福院・般若寺・春日大社摂社若宮神社・蓮長寺

海龍王寺から不退寺、興福院を周って、前日に行き忘れた春日大社摂社若宮神社に行きます。

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宇和奈邊古墳
11:18


不退寺

 大同4(809)年、平城天皇は譲位の後、平城京の北東の地に茅葺の御殿を造営、入御し「萱の御所」と呼ばれた。その後皇子阿保親王及びその第五子在原業平が相承してここに住んだ。
 業平朝臣は承和12(845)年仁明天皇の詔を奉り、承和14(847)年、平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を刻み、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺、業平寺とも呼ばれる。

重要文化財
南門
本堂
多宝塔

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南門(重要文化財)
11:22

本瓦葺切妻造四脚門 鎌倉時代

 南都十五大寺の一つとして法灯盛んであったことを感じさせる壮大な門で、左右に御所塀が付いている。身柱の上に豪壮な板蟇股を載せ、中央冠木の上に束を中心にして笈形風にいろいろと装飾しているのが特徴である。昭和9年の解体修理時に棟札が発見され、正和六年(1317)鎌倉時代末期の建築であると確認された。

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石棺
11:24

古墳時代 砂岩製 刳抜式割竹形 

 境内中庭に五世紀の石棺が置かれている。当寺西方に築造された平塚古墳から幕末に出土したもので、発見当初は蓋(亀の甲羅形)や副葬品があったらしい。一時、付近の薮の傍ら(本堂の後)に移す。近隣の農民が石棺を砥石の代わりにして鎌を研いだために、表面が窪んでいる。
 蓋は割って各自持ち帰ったという。(刀鍛冶が刀を研いだのではないかとも言われている)その後、不退寺の境内へ石棺を移転したという。
 昭和43年国道24号線バイパス工事事前発掘調査により、奈良時代の遺構の下から古墳を検出する。小字名をとって平塚古墳と名付けられた。
 当古墳はJR関西線と国道24号線になり跡形もない。

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多宝塔
11:25

単層本瓦葺寄棟造 桁行5間 梁間4間 鎌倉時代後期 

 内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れている。須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を安置している。須弥壇の左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮を奉安し、西小部屋に阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られている。昭和5年の解体修理の際に天井裏などからこけら経が発見された。

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石棺
11:26

桟瓦葺宝形造 鎌倉時代中期 重要文化財

初層のみで上層と相輪を欠いている。建立当初檜皮葺の二層構造であったことは『不退寺伽藍図』や『大和名所図会』からわかる。内部の壁板には
真言八祖が彩色されているが、剥落が激しい。昭和九年の解体修理時に発見された飛檐垂木墨書によると、多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が
安置されていたらしい。当寺最古の建造物で、5月28日の業平忌のみ開扉している

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11:33
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11:34




興福院(こんぶいん)
 創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。
 『七大寺日記』(嘉承元年・1106年)には藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。
 また、護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建されたとある。

 興福院は後から知ったが、予約が必要らしい。
 前日は閉まっていたが、今日は前にタクシーが停まっており、運ちゃんが中から出てきた。「入れるんですか」と訪ねると、「お客さんが入っていった」とのこと。
 入ってみる。しばらく見ていると尼さんが出てきたので、尋ねると、「入れない」と言われました。
 重文の客殿だけはしっかり撮影してきました。 

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本堂
11:48
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客殿(重要文化財)
11:48
 江戸時代、寛永年間頃に建てられた、入母屋造り桟瓦葺の建物。檜皮葺きの玄関が付属する。左右3室を前後2列に配し、計6室とする禅宗方丈系の平面になる。




般若寺

国宝
楼門

重要文化財
十三重石塔
経蔵
笠塔婆 2基

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楼門(国宝)
12:05
 入母屋造・本瓦葺きの楼門(2階建て門)。民家の建ち並ぶ京街道に面し、西を正面として建つ。鎌倉時代(13世紀後半)建立。下層は1間、上層は3間とする。長押を多用し、和様を基調としつつ、上層の組物など細部には大仏様(よう)の意匠を多用する。上層の出組の組物は、外部から見ると複雑な構造に見えるが、建物内部では柱が直接桁(屋根の垂木を支える水平材)に達する単純な構造で、組物は使われていない。

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まかばら石
12:10
光明真言(不空大灌頂光真言)「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラマニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン」に由来する石銘です。いつの頃からかは判りませんが般若寺境内のこの場所に在り霊石として大切にされてきました。石をなでて拝めば「運気上昇」の霊験があります。合唱。

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経蔵(重要文化財)
12:11
 様式上、鎌倉再興期の建立とみられる、切妻造の小規模な建物。解体修理の結果、建立当初は経蔵ではなく、土間床の建物であったことが判明している。建物の本来の用途は未詳。
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笠塔婆
12:12
 十三重石塔を建てた伊行末の息子・伊行吉によって建立された石塔婆。現在、本堂手前右側にあるが、当初は寺外の墓地の入口にあった。「考古資料」として重要文化財に指定されている。 

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本堂
12:13
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12:13
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十三重石塔(重要文化財)
12:13
 建長5年(1253年)頃に南宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ)により建立された、日本の代表的な石塔の一つ。高さ12.6メートル。

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12:13
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相輪
12:13

 十三重石塔の最上部に置かれる部分。昭和初期に工事中地中より発見された。鎌倉時代の創建当初のもので三つに折れているが、完全な姿を残している。
現在のものは四代目で昭和の大修理の際に初代を模して作成された。二代目は石造で本山西大寺の本坊前庭に現存。三代目は青銅製で元禄より昭和まで設置されていたが、今は当寺宝蔵堂に収められている。

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観音石仏
12:21



再び春日大社に戻ります。
前日忘れた春日大社の若宮神社に参詣。

若宮神社

重要文化財
本殿
拝舎
細殿及び神楽殿
手水屋
すべて世界遺産です。

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春日大社南門(重文・世界遺産)
12:40

 南門を出て灯籠の間を左側に進むと、「御間道」と呼ばれる御本社と若宮との間にある道にでます。この「御間道」からその最奥に鎮座する紀伊神社まで通じる「奥の院道」沿いには「福の神15社巡り」という絶大なる福徳を授かることが出来るという境内社が祀られています。

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本殿(重文・世界遺産)
12:42
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拝舎と本殿(重文・世界遺産)

 若宮の御祭神は長保5(1003)年、現在の地に祀られる。国指定重要無形民俗文化財である「春日若宮おん祭」(12月17日)に際して、その一日のみ御旅所にお渡りになる。
 鎌倉時代後期に描かれた絵巻物「春日権現験記」(1309年)にも現状と同種の建築物が描かれている。拝舎の屋根の後端は神楽殿と一体になっている。

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細殿及び神楽殿(重文・世界遺産)
12:43

 北より三間を細殿、一間を御廊、六間を神楽殿といい、3つの建物が一棟に合わさった建物であり、平安末期の寝殿造の遺風を伝えている。諸祭典に社伝神楽がここで奏せられる。

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手水屋(重文・世界遺産)
12:46

 若宮の神饌調理所に当たる建物で、土間の部分に竈、流し台、屋根には櫓煙出しを設け、一角に日本で唯一の夫婦大黒様をお祀りしている。総体に簡素で平安末期の古様を伝え、寝殿造の面影を残している。

 細殿及び神楽殿の隣に通常の手水舎(参拝者が身を浄めるために手水を使う施設)もあるので、そちらと間違わないように。

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春日神社境内ナギ樹林(天然記念物)
12:47

 境内のナギ(マキ科の針葉樹)の純林から成り、極めて稀であることから、大正12(1923)年天然記念物に指定された。境内のナギは、春日大社の創祀された8世紀頃に献木されたものがひろがったとされ、植栽年代は奈良朝にさかのぼるとされている。

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紀伊神社
12:50

第11番納札社
御祭神:五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、御例祭:9月15日
近世「奥の院」と称されていたこの社の主祭神:五十猛命は素盞鳴命の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。

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細殿及び神楽殿
12:56

ここからチェックアウトをし、車に乗り換えるためホテルに帰ります。

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旧帝国奈良博物館本館(重文)
13:09

午後からは陽がさして前日午前中よりきれいな写真が撮れた。

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蓮長寺
13:18

 当山は、もと三論宗に属し、東大寺別当勤操(空海の南都の師) が千ケ寺建立の際の一寺と思われ、喜見城院と言った。開創年代は不明であるが、奈良朝末期、恐らく750年に近い年代の頃と考えられる。
 日蓮聖人は寛元4(1246)年から宝治元(1247)年にかけて南都六宗研鑽のため、奈良にご遊学あそばされた。
 まず元輿寺に入って倶舎宗を、次いで東大寺で華厳宗、興福寺で法相宗、法隆寺で三論宗、唐招提寺・西大寺で律宗を研究され、さらに薬師寺の経蔵に入って一切経を閲読された。この間、喜見城院を拠点とされ、一番長く滞在されたと伝えられている。
 応仁2(1468)年、時の住持即俊が、宗祖の霊夢を見て日蓮宗に改宗、寺号を喜見院と改め、京都大本山本国寺第11世大聖院日尭を開山に迎え、自らは第2世に就いた。翌文明元年、本堂・番神堂を建築して寺観を一新、教勢また大いに振ったが、後年(元亀・天正の頃)火災に遭い、堂字悉く焼失して廃虚となった。
 江戸期に入り寛永の頃、京都本国寺執事の喜見院日便来たって復興に挺身、篤信の浄信院日英尼ら多数宗徒の外護協力を得て、承応2(1653)年、本堂・庫裡・山門等を再建、寺域を整備して復興を果たし、寺号も日蓮聖人ご出家の時の御名「蓮長」を冠して光映山蓮長寺と改め、大本山本国寺末頭となり、今日の基礎を成し逐げた。
 本堂は大和郡山城主豊臣秀長公建立の寺「西岸寺」本堂を移築したと伝えられ、昭和62年、国の重要文化財に指定されている。また、平成元年、妙見堂を再建、番神堂を復元し、平成2年には、中興開山書見院日便建立の書院「要法庵」が再興された。平成10年には、立教開宗750年を記念して、鐘楼を再建した。

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本堂(重要文化財)
13:19

 建立は承応2(1653)年。入母屋造り、本瓦ぶきの 大規模な堂で、周囲の落縁は側柱筋に合わして縁柱を立て庇桁を廻して軒を支えている。
 内部の柱、貫などは極彩色の文様が施され、広縁や内 陣、脇陣の各天井は鏡天井で、それぞれに迦陵頻伽・竜・鳳風の彩色画が描かれている。全体に平面は密教寺院風。 脇陣を広くとり脇陣境を仕切るなど日蓮宗本堂の特徴 をよく表した建物で、県下でも特筆に値する建造物で ある。

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by hobohitoritabi | 2012-12-17 22:08 | 近畿

古都奈良の文化財11 平城宮跡・東院庭園・宇奈多理坐高御魂神社・法華寺・海龍王寺

唐招提寺から平城宮跡を通り、前日入れなかった近辺の神社仏閣をめぐります。

あっ、そうそう。
「寺社仏閣」という訳のわからん言葉を使っているブログをよく見かけますが、
寺社=寺+神社
仏閣=寺
なので、寺社仏閣=寺+神社+寺で、寺が2回出てますよ。
PIXTAのタグでけっこう多いですね。

神社と寺を言いたいのなら、「寺社」か、「神社仏閣」です。


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朱雀門
門ではなく区域が特別史跡で世界遺産。
10:08

金閣寺(鹿苑寺)や天龍寺は世界遺産ですが、建物は世界遺産ではなく、庭園が特別名勝で、世界遺産。
金閣寺の金ピカの建物(舎利殿)は昭和25年に放火で焼失、30年に再建されたもので、現在のところ文化的価値はありまえん。お間違いなく。

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朱雀門から大極殿
10:10
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東院庭園
10:19
無料なので、入ってみました。こういう庭もいいかも。

 平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
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宇奈多理坐高御魂神社
東院庭園のすぐ近く。
10:25
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宇奈多理坐高御魂神社10:26
本殿(重要文化財)

由緒
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では宇奈足とも菟足とも書いている。武内宿禰の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇 六年(692)二月には新羅の調を伊勢住吉紀伊大倭菟名足の五社に奉るとある。その一社でこの神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730)大振る税帳新抄 格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言ってい るのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社流造檜皮葺で国指定の重要文化財である。境内一帯は平城天皇の楊梅宮址 とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

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法華寺
10:31
 光明皇后ゆかりの門跡尼寺。東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、詳しくは法華滅罪之寺といった。法華寺の地にはもと藤原不比等の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮とした。天平17年(745年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである(『続日本紀』)。この宮寺を「法華寺」と称したことが文書で確認できるのは、2年後の天平19年(747年)からである。

重要文化財
本堂
鐘楼
南門

史跡
法華寺旧境内

名勝
法華寺庭園

重要有形民俗文化財
浴室(からふろ)

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鐘楼(重文)
10:33
 鬼瓦に慶長7(1602)年の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。二層建てで、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式。

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横笛堂
10:34
 かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、東門の東側に移築されている。

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薬師堂
10:34
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稲荷神社
10:35
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本堂(重要文化財)
10:37
 本堂は慶長6(1601)年豊臣秀頼が淀君とともに片桐且元を奉行として再建。

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からふろ(重要有形民俗文化財)
10:43

 この浴室は古くから「からふろ」と呼ばれ法華寺本願光明皇后が難病者たちに入浴の恵みをたれ給うたところであります。
 傍らの井戸は常に清らかな水をたたえ、この浴室の伝統は井戸と共に古い由緒を伝えています。
 浴室の内部は二部屋になっていて両方共にむし風呂になっています。
 近年迄、実際に利用されていました。
 唐破風をつけた内部の古い様式や敷瓦の遺構には、昔の面影が偲ばれます。
 平成15年7月に半解体修理が完成いたしました。

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光月亭
10:43
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10:47
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10:51
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南門(重要文化財)
10:53
切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。

名勝の庭園は非公開時期なので入れませんでした。


海龍王寺
 飛鳥時代に毘沙門天を本尊として建てられた寺院を、天平3(731)年に光明皇后により海龍王寺としてあらためて創建されました。嵐の中唐より無事に帰国を果たした玄昉が初代住持となったことから遣唐使の航海安全祈願を営むと同時に平城京内道場の役割を果たすことにもなり、玄昉が唐より持ち帰った経典の書写(写経)も盛んに行われました。

国宝
五重小塔 - 解説は前出

重要文化財
西金堂
経蔵

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山門
10:59
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11:01
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本堂
11:01
 本堂は奈良時代に建っていた中金堂の位置を踏襲しており、深い軒の出と勾配の緩い屋根、それに堂内の柱配置が整然としていることなど、奈良時代の仏堂の様式と似ている点が多く見られます。建立年代は寛文年間(1665年頃)とも伝えられ、江戸時代の建物でありながら古風な造りで、古い伝統建築の様式が好まれた奈良の地域性を見ることができて貴重です。

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西金堂(重要文化財)
11:02
 創建当時からの建物。鎌倉時代と昭和40年~41年にかけて大きな修理を受けてはいるものの、一部に奈良時代の木材を残しています。規模や形式には大きな変更がなく、奈良時代に造られた小規模の堂はこの西金堂以外に現存していないことから非常に価値の高いものと評価されています。

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五重小塔(国宝)
11:03
 創建当時から西金堂内に安置されており、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られていることから、天平時代の建築技法を現在に伝え、塔の建築様式の発展をたどる上にも重要であることと、建造物としての五重塔はこれ一基しか存在していないので、これらの点からこの小塔の価値が高く国宝に指定を受けています。小塔は屋内で安置することを目的とした為、近くから見たり拝んだりするであろうことから近くから見た時の工芸的な性格を非常に重視しており、小塔の外部は組物などの細部にいたるまで忠実に作られています。またこのことは寸法取りにも表れており、上層部にいくにしたがって塔身が細く作られていることから上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行っていることがうかがい知れます。 - 小塔を造立した理由 通常、寺院には高さが数十メートルの大きな五重塔があるのが一般的ですが、海龍王寺は飛鳥時代から建っていた寺院をもとに創建されたので、限られた敷地の中に大寺院の伽藍の形式を持ち込まなければならないという困難な状況にありました。この事情の中で「東西両塔」を備えた伽藍の形式を持ち込むべく五重小塔を造立し、東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中にそれぞれ納めたのではないかと考えられています。

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経堂(重要文化史)
11:06
 叡尊により当時が中興された際の正応元年(1288年)に建立され、昭和40年~42年にかけて解体修理を受けました。高床式であるとともに、この時期の建物の特徴である大仏様の影響を大きく受けていながらも一部には禅宗様が取り入れられており、寄棟造のおだやかな姿が古代の蔵の面影が最もよく残されています。

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11:13




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by hobohitoritabi | 2012-12-17 10:35 | 近畿

古都奈良の文化財10 唐招提寺

9/27
薬師寺の次はお隣の唐招提寺へ

唐招提寺の世界遺産は[国宝5、重文1](史跡)となっていますので、旧一乗院(御影堂)の2棟は世界遺産には含まれないのだろう。
礼堂(重文・世界遺産)
経蔵(国宝・世界遺産)
金堂(国宝・世界遺産)
講堂(国宝・世界遺産)
鼓楼(国宝・世界遺産)
宝蔵(国宝・世界遺産)
旧一乗院寝殿(重文)
旧一乗院殿上及び玄関(重文)

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南大門
9:01
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金堂(国宝・世界遺産)
9:02

国宝 奈良時代(8世紀後半)
寄棟造・本瓦葺
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。
堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。
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講堂(国宝・世界遺産)
9:04
10mmの広角でも全体が入りきらない

国宝 奈良時代(8世紀後半)
入母屋造・本瓦葺
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。
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鐘楼
9:05
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鼓楼(国宝・世界遺産)
9:06

国宝 鎌倉時代 仁治元年(1240)
楼造・入母屋造・本瓦葺
金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。
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鼓楼と金堂
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礼堂(重文・世界遺産)
9:07

手前が礼堂、奥が東室

重要文化財 鎌倉時代
木造 入母屋造・本瓦葺
鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。
講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。
礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔を安置しています。
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鼓楼
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経蔵(国宝・世界遺産)
9:08

国宝 奈良時代(8世紀)
校倉・寄棟造・本瓦葺
礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。
唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。
礼堂
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礼堂
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御影堂(興福寺旧一乗院)入口より
9:16

立ち入り禁止です。

重要文化財 江戸時代
境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元したものです。
現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。
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戒壇
9:20

金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。
現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。
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修理中の本願殿
9:24
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鑑真和上御廟
9:28

境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。
同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。
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宝蔵(国宝・世界遺産)国宝 
9:35

奈良時代(8世紀)
校倉・寄棟造・本瓦葺
経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。
唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。
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9:36

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by hobohitoritabi | 2012-12-03 22:05 | 近畿

古都奈良の文化財9 薬師寺

9月27日
世界遺産古都奈良の文化財を巡る旅2日目
今日は西ノ京から攻めます。
薬師寺南門(重文・世界遺産)
薬師寺東院堂(国宝・世界遺産)
薬師寺東塔(国宝・世界遺産)
薬師寺休岡若宮社社殿(重文)
薬師寺休岡八幡神社社殿(重文・世界遺産)
世界遺産の資料では薬師寺の世界遺産は国宝2、重要文化財4、史跡となっています。
上記のうち、薬師寺休岡八幡神社社殿は本殿、東脇殿、西脇殿の3棟あるので、実はひとつ重文だが世界遺産ではないものがあるということになります。薬師寺休岡若宮社社殿が世界遺産に含まれないのかな?と考えています。
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南門(重文・世界遺産)
7:48

8時半の拝観開始時間なのになざこんなに早く出てきたのかというと、あの水面に映った薬師寺の風景を見てみたかったから。
川かと思っていたんですが、該当しそうな場所はない。
地図をにらみながら、あちこち走り(もちろん自転車で)、大池であることが分かった。
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大池越しの薬師寺
8:11
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休岡八幡神社社殿(重文・世界遺産)
8:19
大池から戻り、薬師寺が開門するまで、南門前にある休岡八幡神社へ。こちらにも世界遺産がありますので、お忘れなく。
このあといくら探しても休岡若宮社社殿(重文)が見つけられず。

8時半になったので、いよいよ薬師寺境内へ。
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中門
S59再建
8:33
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金堂
S51再建
8:34
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西塔
S56再建
8:36
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大講堂
H15再建
8:37
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東塔(国宝・世界遺産)
8:42
みごとに隠れてしまっています。知っていたけど残念です。
2018年まで修理中とのこと。あと6年かあ。。。。。
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東院堂(国宝・世界遺産)
8:45
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薬師寺の壁
8:54
こちらの壁の修復も急ぐ必要があるのでは。。。。。。

しまった!休岡若宮社社殿(重文)の場所聞くの忘れた。。。。。
あとで家で調べると、南門を入って左側にあったようです。


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by hobohitoritabi | 2012-12-01 22:19 | 近畿